白瀬中尉の南極探検

白瀬中尉の生涯と南極探検(2)南極探検の準備

文責:佐藤 忠悦(NPO法人白瀬南極探検100周年記念会 監事)



補助金申請の目的

 白瀬は南極探検を目指しますが、資金があるわけがなく、国に十万円の補助金の申請をします。申請書の目的は領土拡張にありました。


 衆議院では白瀬の補助申請額10万円を可決としたものの、貴族院では3万円に減額しました。しかし政府は一銭の補助も出してくれませんでした。


後援会の設立

 政府が補助金の交付をしなかった理由はいろいろありますが、当時(明治35)イギリスと日本は日英軍事同盟を結んでおりました。このことはイギリスの派遣するスコット隊と競争になることが、外交上好ましくないと考えたからといわれております。日露戦争で莫大な戦費を費やした事も理由でしょう。しかし、それよりも政府の理解と認識がなかったことが一番の大きな理由であったと推察されます。

 そこで白瀬は有志と後援会を設立し、広く国民から義捐金を集めることにしたのです。後援会長になったのが早稲田大学の創設者大隈重信伯爵でした。大隅は白瀬と会って経歴を聞き、この意気、この体力があれば素志を果たすことができるだろうと判断します。

 そして西洋文明の今日あるのは、科学の発達と冒険により未開の富を開拓したことをあげ、この探検が国民の精神に大きく影響し、勇敢なる気性を鼓舞するだろうと述べています。

 大隈伯爵が後援会長になったとたんに南極探検の熱は盛り上がり全国に広がります。演説会があると長蛇の列ができるほどでした。

 当時、南極を目指していたのは白瀬(49)だけではありません。

 イギリスのロバート・ファルコン・スコット(43)。ノルウェーのロアルド・アムンセン(41)です。スコット大尉は2度目の南極挑戦でした。


資金と用船で苦労

 白瀬は資金不足もさることながら、最後の最後まで苦労したのが探険船です。このことが、出航を遅らせた大きな原因となったのです。

 最初海軍の軍艦「磐城(ばんじょう)」を予定していたのですが、海軍の方から修理に莫大な金がかかると言われ諦めざるをえませんでした。しかし、これは海軍で所有している軍艦を陸軍の白瀬中尉に貸与することはまかりならぬという話もあったといいます。

 当時陸軍と海軍は、確執が深く、山県有朋は長州を中心とした陸軍の軍閥を築きあげ、海軍には幕臣が多かったこともその原因であろうと思います。

 それを裏付けるように海軍大臣と同次官は白瀬の南極探検に賛同しておらず、冷ややかな態度でした。

 そしてやっと決まったのが郡司大尉の「報效義会」が所有する「第二報效丸(だいにほうこうまる)」という199トンの木造帆船の漁船です。


第二報效丸

 しかし、この第二報效丸は、当初予定していた「磐城」に比べの三分の一にも満たない小さな帆船の漁船でした。あまりにも小さな船に「こんな小さな船で南極まで行けるはずがない」。これまで全面的にバックアップしてきた朝日新聞が手を引きます。

 また血判書まで出して堅い決意を示していた隊員までも離脱するという事態にまで発生します。しかし白瀬はこの船でも大丈夫だという自信がありました。

 千島探検の際、北洋の荒海を乗り越えて密漁にやってくる船は、100トン足らずの漁船であったからです。


隊員の公募

 探検隊員は公募しますが、その条件のひとつに、「身体強健にして堅忍不抜の精神を有し、かつ多量の飲酒をせず、歯力強健にして梅干の核(たね)を噛み砕きえるもの」と具体的に明示しています。

 隊員は全国から募集されましたが、300名ほどの応募があり、中には血書血判をもって申し込む者もおりました。

 これも明治という時代の若者気質を象徴するものではないでしょうか。


アイヌ隊員

 隊員の中に二人の樺太アイヌがおります。探検船が小さくなったため当初考えていた蒙古馬に代わって、急遽樺太犬に変更になったのです。そこで二人の樺太アイヌは自ら進んで隊員になることを申し出てきたのです。

 当時アイヌ民族は文字を持たないこともあって、読み書きができず軽蔑され、日本国籍でありながら、アイヌの人たちは偏見と差別により貧困に苦しめられておりました。

 魚場では強制労働を強いられ、水揚げからの搾取など、いわば和人の言いなりになっていたのです。単なる労働力に過ぎませんでした。

 アイヌ隊員のひとり山辺安之助(やまのべやすのすけ)はこのことを憂慮して、南極探検という実践を通して、アイヌ民族を見直してもらいたい。また同族の地位向上と奮起を促したい一心から探検に加わることを決心したのでした。この山辺も明治という時代が生んだ人物といってもよいでしょう。

 山辺安之助は金田一京助がアイヌ語研究のために樺太に渡ったとき、研究を手助けした一人で、後に金田一(きんだいち)博士と二人で『あいぬ物語』を著しています。




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